大判例

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大阪高等裁判所 昭和59年(ネ)2429号 判決

控訴人 医療法人平和会

右代表者理事 松田方一

右訴訟代理人弁護士 石井通洋

同 吉田恒俊

同 佐藤真理

同 相良博美

同 坪田康男

同復代理人弁護士 間石成人

控訴人 奈良市

右代表者市長 西田栄三

右訴訟代理人弁護士 米田泰邦

同 辻中栄世

被控訴人 太田順一

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 石川寛俊

同 藤田正隆

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人らは各自、各被控訴人に対し、それぞれ一三八二万三一四五円及び控訴人奈良市については昭和五五年一月二七日から、同平和会については、同月二九日から右各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審ともこれを四分し、その三を控訴人らの、その余を被控訴人らの各負担とする。

この判決は被控訴人ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。

但し、控訴人らが各自、被控訴人に対し五〇〇万円の担保を供するときは、その控訴人は右仮執行を免れることができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人ら

原判決を取り消す。

被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

第二当事者の主張

当事者双方の主張は次のとおり付加、訂正、削除するほか原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

原判決五枚目裏一〇行目「小頭症」とあるを「水頭症」に、同一八枚目表八行目「精神神経科」とあるを「精神科、神経科」に訂正し、同二五枚目表四、五行目「藍の痙攣発症の時期については否認し、」とあるを削除する。

(控訴人奈良市の当審主張)

1  (大泉門膨隆と過失について)竹田医師が認めた藍の大泉門膨隆は少しの膨隆であって、それも乳児の診察経験のない同医師の手の触覚からの印象にしかすぎない。右診察から六、七時間後の吉田病院で大泉門膨隆が確認されていなかったことや、翌朝の奈良県立病院の小児科専門医の大泉門膨隆の所見が「やや膨隆」という程度のものであったことに照らすと、竹田医師の右所見は医師によって膨隆の有無の判断が分れる程度の相対的なものであったとみるべきである。

してみると、竹田医師には髄膜炎症状を疑うべき特異症状はないから、藍に対し直ちにルンバール検査をすべき注意義務はなく、これを怠った過失もない。

2  (因果関係について)化膿性髄膜炎の予後は治療開始時期、患児の年令、起炎菌の種類等によって影響されるところ、藍の起炎菌はグラム陽性のα型溶血性連鎖球菌(溶連菌)であって、その毒性は強いものであるから、竹田医師の過失がなければ後遺症なしに治癒できたといえるものではない。即ち連鎖球菌の死亡率は被控訴人提出の甲第四五号証では三三パーセント、甲第六号証では一〇〇パーセント、またグラム陽性菌の死亡率は甲第九号証では五〇パーセントであり、致死的危険がこのように高いことは幸いに死を免れても重大な後遺症を残す確率が極めて高いことを物語っている。

3  (逸失利益請求権の消滅)藍は第一審係属中に急性肺炎によって死亡したが、髄膜炎後遺症(水頭症)と右肺炎死との間に因果関係はない。そうであれば、本来逸失利益の請求は、請求者が将来稼働する可能性を有していることを前提とした一種の仮定論であるから、本件においては藍が髄膜炎後遺症と無関係な急性肺炎によって死亡したことにより同人の逸失利益請求権は消滅し、したがって被控訴人らがこれを相続することはありえない。

4  (被控訴人らの責任と慰藉料)被控訴人らは昭和五四年一月一六日藍の治療を中止した。髄膜炎の患者に対する抗生物質の投与は治療の主要部分を占めているのであるから、患者の髄液等から細菌が検出されなくなる以前にその投与を中止することなど決してしてはならないことである。右治療中止自体が藍の後遺症を加重するのはもちろん生命をも脅すものであり、損害避抑義務に違反している。

右事情はこれによる損害の拡大が算定できないという理由によって過失相殺をすることができないとしても、少なくとも慰藉料の算定に際し斟酌すべきである。

(控訴人平和会の当審主張)

1  (大泉門膨隆と過失について)藍を診察した竹田医師の診療録に「大泉門隆起(+)」の記載があることから、直に藍の大泉門が膨隆していたと即断することはできない。竹田医師は藍の診察時に大泉門膨隆の有無に注意したが、藍のような乳児の髄膜炎を診察した経験がなかったこともあって、藍の大泉門が膨隆しているとの確かな判断には達し得なかった。しかしながら同医師は経験観察の過程において大泉門膨隆の有無が重要な手がかりになるものと考えたので後に藍を診察することになるかも知れない医師に対する注意喚起の目的で診療録に「大泉門隆起(+)」と記載しておいたものである。

そうだとすれば、吉田病院来院時の藍の大泉門が膨隆していたということはできないから、船瀬、林両医師には藍に対し直ちにルンバール検査を実施すべき注意義務はなく、これを怠った過失もない。

2  控訴人奈良市の当審主張4と同じ。

(控訴人らの当審主張に対する被控訴人らの認容及び反論)

1  控訴人らの当審主張各1は争う。控訴人らは原審において診療所における藍の大泉門膨隆の事実を争わなかった。

2  控訴人奈良市の当審主張2は争う。同控訴人の引用する死亡率はいずれも対象二、三例についての百分率であって統計的意義は少なく、到底起炎菌の毒性の強弱を判定する根拠となり得ない。また対象患児の状態や治療開始時期、投与物質の効能につき何ら限定がなされていないから、この点からも起炎菌の毒性の強さを裏付ける資料となり得ない。

3  控訴人奈良市の当審主張3は争う。

一般に重度身体障害者の余命が短いことは広く知られており、病気に対する抵抗力の低下、殊に常時仰臥している障害児が気管系統の疾病に弱いことは争う余地がなく、水頭症の後遺症を残した者と健常者の余命については有意の差がある。藍は交通事故のような突発事故による死亡ではなく、水頭症を残したが故に早期に死亡したものである。

4  控訴人奈良市の当審主張4及び同平和会の当審主張2のうち、昭和五四年一月一六日藍に対する抗生物質の投与を中止したことは認める。右は医師の患児の予後に対する慎重かつ冷静な判断と決断に加え、患児の家族の悲痛な決意とが相俟って抗生物質の投与中止という結論が導かれたのである。幸い藍につき髄膜炎の再発はなく、その後退院し得るまでに回復しているので抗生物質投与等の中止と藍の予後とは因果関係はない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  当事者及び診療契約の存在

請求原因1の事実のうち、控訴人奈良市が同市北新町五三番七号において診療所を設置運営し、また控訴人平和会が肩書地において吉田病院を設置運営するなどして医療業務に従事していることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、藍は被控訴人らの二女として昭和五三年一〇月一二日成熟満期産にて元気に出生し、本件事故に至るまで順調に成長を続けてきたことが認められる。

そして請求原因3(二)(1)の事実は控訴人奈良市において、同3(三)(1)の事実は控訴人平和会において、それぞれ明らかに争わないから、いずれもこれを自白したものとみなす。

二  本件事故の経緯

1  《証拠省略》を総合すると次の事実を認めることができる。

(一)  昭和五三年一二月二八日午後三時過ぎ、藍に三九度六分の熱が出たため、被控訴人らは藍を産科の賀川医院へ連れて行ったところ、風邪と診断され、抗生物質を含んだ注射をして貰い、オレンジ色の粉薬を貰った。翌二九日には藍の症状も好転し、母乳も普段と変わりなく飲み、同児の状態は良好であった。しかし三〇日には、再び藍の体温が三八度まで上り、全身的な身体の反応も鈍いようであった。そこで被控訴人らは賀川医院の医師が旅行で不在のため、小児科医の後畠医院へ同児を連れて行ったが、やはり風邪と診断され、オレンジ色の水薬と解熱剤である坐薬を貰った。そして翌三一日には笑うなどの反応も出て再び藍の状態は好転し、母乳も元気なときと同程度に飲んだ。

(二)  しかしながら翌一月一日には早朝から、藍は奇妙な泣き声をあげ、母乳を飲もうとせず、また体温も三八度を超えたため、被控訴人らは後畠医院で貰った右坐薬を投与したところ、下痢便を出しはしたが、その後同児の哺乳力が元気なときと変らないものとなった。ところが、同日昼過ぎ頃藍は生まれ初めて乳を吐いたうえ、いつもであれば母乳を飲んだ後はすぐ寝るにもかかわらず、仲々寝つかず、普段とは違った泣き方をし、その際右耳の上辺りに手を当てるような仕種を盛んにし、同日午後三時頃には唇の色がなくなり、顔色も薄い土色となって来た。

(三)  そこで被控訴人らは同日午後三時過ぎ頃藍を診療所へ連れて行った。同所の当直医の竹田医師は被控訴人らから藍の診療所へ来るまでの症状経過を聞きながら藍の診察にあたったが、そのときの藍はいわゆる嗜眠状態(半ば眠ったような状態)で元気がなく、顔色は土色で唇が乾燥し、肺に乾性ラ音があるうえ、大泉門が隆起していた。右診察の結果、同医師は、藍の症状は単なる風邪ではなく、気管支炎や髄膜炎等の可能性も考えたが、頸部の硬直、頻回の嘔吐や哺乳力の低下といった髄膜炎を示す他の症状がないので、とりあえず不明熱の診断をし、他医の薬が一日半残っていると聞いたので薬は出さないことにした。そして藍の症状の経過を観察することとし被控訴人らに対し水分の補給を充分にしたうえ嘔吐や哺乳力の低下に注意し、容態に変化がある場合には直ちに来所する旨指示して帰院させたうえ、再受診したときの担当医が重要な症状を見落さないように、患者に対する注意指示を記載した部分ではあったが、カルテに「大泉門隆起(+)」と記載した。

(四)  診療所から帰宅した後、一旦は藍の顔色もやや良くなり、同日午後八時前には、哺乳量はやや少ないとはいえ二〇分程母乳を飲んだ。しかしその際体温が多少上昇し、哺乳直後に目を見開くようにするかと思えば、上の方へつりあげたり、或いは体全体を弓なりにするような痙攣が約一〇分間程続いた。そこで被控訴人らは同日午後八時五〇分頃、救急車を呼んだが、この時刻には診療所は開いていなかったため、救急隊員らが県立奈良病院を含む方々の病院に連絡をとったが、いずれもその受入を拒否された後、ようやく吉田病院が受入れてくれることになった。

(五)  もっとも吉田病院で同日当直していた林医師は、精神科、神経科が専門で医師としての経験も一年半と少なかったところ、救急隊本部より連絡を受けた事務員から、患者は二才の幼児で熱性痙攣の疑いがあると聞き、自己の専門領域と関連性のある病状であったため、その受入を受諾した。しかし同日午後九時五分頃吉田病院に搬送されてきた藍が、予想に反しまだ生後三か月にも満たない乳児であるうえ元気のない症状を診て同医師は適切な診療を行う自信が持てなかった。そこで被控訴人らに対し診療の自信がない旨告げたうえ、同児の転送を考え、事務員を通じて他の医療機関に連絡をとったが、その受入をそれぞれ拒否された。やむなく林医師は近くの小児科医に来て貰う旨被控訴人らに告げ、事務員を通じて吉田病院勤務の医師らに診察を依頼し、ようやく先輩医師の船瀬医師と連絡がとれ、同児の症状を簡単に説明したところ、同医師から診察に赴く旨の承諾を得た。船瀬医師は外科専門医であるが小児科の救急診察の経験を有していた。林医師はとりあえず船瀬医師が来るまでの間藍を診察することとし、被控訴人らから前記のとおり一二月二八日から吉田病院来院に至るまでの藍の症状及びその経過につき説明を受け、同児の体温、脈、体重を測定したが異常と認めるものもなかったものの、同児の反応が鈍く、またその眼に異常を感じた(眼球運動異常の疑い)。そして同医師は、前記藍の体温の上昇傾向を考え、同児にインダシン坐薬(一二・五ミリグラム)を投与した。

その後船瀬医師が同日午後一〇時ころ、吉田病院に到着し、直ちに藍の診察に当たり、まず被控訴人らから林医師が聴取したと同程度の説明を受けた。そして藍には、全身状態不良で、顔色等も悪く軽い脱水症状を認めたものの、頸部の硬直はなく、膝蓋腱反射も正常で、肺にも雑音を認めなかった。ただ林、船瀬両医師とも右各診察に際し藍の大泉門が膨隆していることを看過していた(因に大泉門の膨隆は著名な脱水症状のない限りへこむことはない)。船瀬医師は藍の症状を風邪と診断し、抗生物質であるセンセファリンを主剤として、E・E(エンテロノン・アール=整腸剤)、スルピリン(解熱剤)及びアレルギン(抗ヒスタミン剤)を加えた内服薬四日分を処方し、更に解熱剤として、インダシン坐薬をつけ加えて、被控訴人らに対し、藍を入院させる必要はなく、右薬の投与と水分及びミルクの補給を必ずするよう教示し、そのまま帰宅させようとした。そして林医師は船瀬医師の右診察が終った時点で、藍の転送の必要性がないとして救急隊員に対し帰ってよい旨の許可をした。

しかし、被控訴人らは藍の哺乳力が低下しているうえ、その反応が鈍いなど全身状態が不良で、来院前に痙攣も生じたこと、そして同日が一月一日であることを慮り、船瀬医師に同病院への入院を強く要請した(被控訴人らは同医師を小児科専門医と考えていた)ため、ようやく同日午後一一時頃その入院が許可されるところとなった。なお右入院許可直前にも、藍は元気なときであれば前記お乳を飲んだ時間からすると母乳を飲む時間であるにも拘らず、林医師が持ってきた湯ざましを飲むこともなく、また母乳を飲むこともしなかった。入院後林医師は抗生物質を水に溶き藍に飲ませようとしたが、同児はそれを吐き出すなどして飲まなかった。そこで同日午後一二時頃同児に鼻腔カテーテルを施し、それにより五パーセントブドウ糖液(二〇ミリリットル)に、前記船瀬医師が処方した薬を混入させて投与した。右投与により、やや藍の状態が好転したものの、同児の全身状態は不良で、顔色も悪く、うとうと浅眠するような状態が続いた。その後の翌二日午前三時頃、藍は開眼、閉眼を繰り返すなど、その眼の動きに異常が認められ、そのような状態が暫く継続した。そして同午前四時四五分頃、前記鼻腔カテーテルを使用して藍に五パーセントブドウ糖液(四〇ミリリットル)が投与され、同五時四五分頃再び前記船瀬医師の処方した薬を五パーセントブドウ糖液(一〇ミリリットル)に混入したうえで、右装置で投与しているが、最後のブドウ糖の大部分は、口から吐き出してしまった。右処置後藍に前日来院前に生じたと同様の痙攣が起こり、その痙攣発症時間も徐々に長くなっていた。同じ頃同児は全身に汗をかいたので、被控訴人千家子が頭の汗をふきとっているとき、大泉門が眼で見て判る程にほこんと出ているのに気付き、その頃(午前六時頃)来診に来た林医師にその旨告げた。林医師は直ちに同児のような乳児を扱い慣れている産婦人科の阿南医師に応援を依頼した。阿南医師は、同午前七時頃来院し、直ちに藍の診察に当り、同児の直腸へ五パーセントブドウ糖液を六ミリリットル投与し、右阿南医師と相前後して船瀬医師も藍の急変を聞きつけて駆けつけ、直ちに藍を診察したが、その際同児の下股に硬直を、また大泉門に膨隆を認め、また同児の肺呼吸音が鋭く、対光反射がはっきりしないことを認めた。右のような藍の症状及びその経過から船瀬医師は藍の病状につき髄膜炎の疑いが濃いものと考え、直ちに小児科医師のいる医療機関に連絡をとるなどして、結局同午前九時三〇分頃県立奈良病院へ同児を転送した。

(六)  県立奈良病院では、前日の一月一日からの当直医であり、当直終了後も勤務していた小児科専門医の小川医師が、同月二日午前九時五〇分藍の診察を行った結果(その際大泉門はやや膨隆と触診した。)、同児の病気を重度の髄膜炎で仮に生命をとりとめてもかなりの後遺症が残る(脳死の可能性もある)と診断した。そして確定診断と治療方針決定のためルンバール検査が実施されたが、その結果同児の罹患した病名は化膿性髄膜炎(その起炎菌はグラム陽性のα型溶血性連鎖球菌)と判明した。そしてその後化膿性髄膜炎の後遺症として水頭症、脳性小児麻痺(片麻卑型)となり身体障害一級と認定された。

なお被控訴人らは藍に高度の後遺症が残ることが判明した同月一四、五日医師に対し藍に対する積極的な加療をしない旨申し入れ、同月一六日からは抗生物質の投与が中止されたが、幸い髄膜炎の再発はなく、同年三月と八月の二回にわたり同病院の脳外科でVIPシャント術を施行し、同年一〇月一日退院できた。

しかし同児は同五六年三月六日急性肺炎にて死亡した。

2  右認定に反する原審証人船瀬和弘、同林英昭、原審の被控訴人らの各供述は前掲証拠に照らし採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

控訴人らの当審主張各1は、要するに竹田医師が認めた藍の大泉門隆起所見が客観性に乏しいものである旨主張し、これに一部符号する当審証人竹田洋祐の供述があるが、本件訴訟経過及び前掲証拠に照らし採用できない。なるほど県立奈良病院で小児科専門医が昭和五四年一月二日午前九時五〇分に認めた大泉門膨隆の程度は「やや膨隆」というのであるが、これとても素人の被控訴人千家子が同日午前六時頃大泉門膨隆を発見し、それが目に見える程度であったことに照らせば、右所見をもって竹田医師の認めた大泉門膨隆を客観性に乏しいものということはできない。因に大泉門の膨隆はそれ自体に脳圧亢進のサインとしての意味があり、それが著名であるか軽度であるかは問題ではない(前記小川証言参照)。

三  控訴人らの責任

1  奈良市の休日夜間診療体制等について

《証拠省略》によれば次の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

奈良市は救急医療体制を充実させ市民の健康を守るため、昭和五二年から奈良市立休日夜間応急診療所条例、同施行規則に基づき、休日夜間診療所(診療所)を設置し、内科、小児科、歯科の診療科目の応急的な診療を行い、うち内科、小児科については、社団法人奈良市医師会に委託して夜間は午後一〇時から翌日の午前六時まで、休日は午後一時から午後七時までの間診療業務を実施している。因に右時間帯以外の急患は一般の救急医療の対象となり、診療所とは関係なくなる。そして奈良市医師会から診療所に派遣された医師が診断の結果入院を要すると認めた患者又は応急治療が困難な患者については予め予定された病院に転送することとし、休日診療の場合は国立、県立、済生会各奈良病院が輪番制により、夜間診療の場合は同医師会会員の経営する八病院(二次受入病院で吉田病院を含む、但し小児科専門医がいるのは二病院である)が二病院毎に輪番制により、又は国立、県立、済生会各奈良病院(三次受入病院)が輪番制により、右患者を受け入れ診療に当たることになっていた。なお診療所にはルンバール検査設備はないが、吉田病院にはその設備があった。

竹田医師は内科、小児科、放射線科、内分泌科を標榜する開業医で、内科を専門分野とする医師であるが、昭和五四年一月一日他医一名と診療所の休日診療に当たっていた。林医師は精神科、神経科を、船瀬医師は外科を専門分野とし、本件診療当時吉田病院に勤務していたので、吉田病院の夜間診療日には内科、小児科の救急診療にも従事していた。但し昭和五四年一月一日は吉田病院の当番日ではなかった。なお吉田病院は小児科を標榜科目としていない。

2  化膿性髄膜炎について

《証拠省略》によれば次の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

化膿性髄膜炎は連鎖球菌、ブドウ球菌、インフルエンザ菌などの病原菌によって生じる髄膜の炎症で、血液中に侵入した細菌が髄膜に転移して主に軟膜及びくも膜を侵し、脳に不可逆的な障害を残す重篤な疾患である。右疾患は原発性に起こることは少なく多くは続発性に発生するものであるが、続発性の場合見逃され易いから注意を要する。発症は乳児に多く年長児に少ないとされる。その症状は年令によって大きく影響され、典型的な症状は年長児にみられる(通常発熱、悪寒、嘔吐、頭痛で始まり、痙攣を伴い、知覚過敏、意識障害を来すようになり、髄膜炎症状として項部強直、ケルニヒ症候、ブルジンスキー症候陽性、腱反射亢進、病的反射が出現し、常に重症感を呈する)。生後二か月を経過した藍のような乳児の場合は必ずしも右の典型症状を示すとは限らず、不気嫌、食欲不振で始まり、発熱(ときには著名でないこともある)、嘔吐、痙攣を来たし、元気がない。大泉門の緊張と膨隆が髄膜炎の特異症状として診断上重要(大泉門は乳児の疾患に重要な所見として診断価値が大である)で、ケルニヒ症候、項部強直も表れないことが多いから、すべての異常所見に対しては常に髄膜炎を疑ってかかるべきであり、大泉門の膨隆を認めたときは直ちにルンバール検査を行って診断を確定する心構えが必要である。診断の確定は髄液所見、ことにその起炎菌の決定が最も重要であり、また治療としての抗生物質使用のためにも必要である。

その経過は年令、病原菌の種類、毒力によって異なるが、急性型及び亜急性型が多く、年令の幼若なものは経過が急激で年長児では比較的緩慢な傾向がある。

その予後は年令、起炎菌の種類(毒力、抗生物質の感受性)、治療開始までの期間、原発性疾患の種類経過、個体の抵抗力により異なるが、早期に適切な治療を受けたものは比較的よい、幼若児ことに二か月未満の乳児において予後が不良である。一般に死亡率は一~二割とされている。後遺症として水頭症、運動神経麻痺、言語障害、聾、盲、知能障害などがみられる。

その治療に当って重要なことは早期に診断を確立し、起炎菌に対して最も感受性を有する抗生物質を大量使用すること、及び後遺症を残すことなく治癒させることである。

以上の点は、本件事故のあった昭和五四年一月当時、小児科の成書や小児科診療に当る医師向けの雑誌にも記載されていたので、小児科診療に当る医師にとって一般的な知見となっていた。

8 担当医師の過失について

(一)  前記のとおり、竹田医師は小児科等の診療科目を標榜してその診療に当っている開業医であり、かつ診療所の標榜する内科・小児科医として応急診療に従事していたものであるが、昭和五四年一月一日午後三時頃診療所にて藍を診察した際、藍の不気嫌、発熱、嘔吐の状況を聞き、同児が嗜眠状態で顔色は土色、唇は乾燥し一般状態も良くないことを確認したうえ、髄膜炎の特異症状である大泉門膨隆を触診したのであるから、そして乳児の髄膜炎が急激な経過を辿る予後不良の疾患であるから、直ちにルンバール検査をして髄膜炎の確定診断と起炎菌を決定し、これに適応する抗生物質を投与すべく、診療所では右検査が不能であるからこれを実施できる他の病院へ同児を転送し、髄膜炎による不幸な転帰を回避すべき注意義務があったと解すべきである。

然るに同医師は前記事実によれば右注意義務を怠った過失があると認められる。

なお同医師は内科の専門医であるが、自ら小児科を診療科目に標榜して小児の診療に当っているのであるから、藍の診療が専門外の診療であるとして右注意義務を軽減することはできないと解すべきである。

(二)  前記のとおり、船瀬医師は診療所の夜間診療の二次受入病院である吉田病院で内科小児科患者の救急診療を担当していた医師であるが、昭和五四年一月一日午後一〇時ころ同病院にて藍を診察した際、乳児である藍の不気嫌、断続的な発熱、嘔吐、痙攣の症状を聞くとともに同児の全身状態不良であることを確認したのであるから、同じ症状でありながら予後が重大で経過も急激な髄膜炎を進んで疑い、大泉門膨隆の有無を触診してその膨隆を認めたときは直ちにルンバール検査を実施し(あるいは実施できる他の病院に転送し)、髄膜炎による不幸な転帰を回避すべき注意義務があるのに、その膨隆を看過してルンバール検査の実施(あるいは実施可能な他の病院への転送)を怠った過失があると解される。

なお船瀬医師は外科専門医であるが、小児科診療の経験を有し、藍の診療に際しては専門外の診察で自信を持てない症例である旨被控訴人らに告げた訳でもなく、他方被控訴人らも同医師の来援の経緯等からしてこれを小児科専門医と信頼していたこと、大泉門は乳児の疾患に重要な所見をもたらすのであることに照らし、専門外の診療であるからといって右注意義務を軽減することはできない。

(三)  林医師は大泉門膨隆を看過した点において船瀬医師と同じであるが、自己の専門外の対象と症状に自信を持てない旨被控訴人らに告げ、転医先の努力をした後やむなく自己より経験豊かな他医の診察を求めたのであることに照らせば、林医師に髄膜炎による不幸な転帰を回避すべき診療を期待することは無理であると解せられ、林医師に被控訴人ら主張の過失を認めることができない。

4  緊急事務管理の法理の参酌について

前記のとおり、船瀬医師の藍の診療行為は被控訴人らと控訴人平和会との準委任契約に基づくもので、義務なくしてなされた診療でないことは明らかであるから、緊急事務管理に関する民法六九八条の適用がないことは明らかである。

また吉田病院は小児科応急診療を標榜する診療所の二次受入病院であって、同病院に勤務する船瀬医師は小児科救急診療に従事していたのであるから、昭和五四年一月一日だけ運悪く乳児が来診した訳ではなく、通常関与している医療の一側面と変らないばかりか、同医師が専門外の自信の持てない領域として診療を拒否したが、被控訴人らからそれでも構わないからとして診療を依頼されたという事情にもない。

そうすると、緊急事務管理の法理を参酌して同医師の注意義務を格別に軽減すべき理由はないというべきである。

5  因果関係について

(一)  《証拠省略》によれば、化膿性髄膜炎は、その死亡率が一~二割(起炎菌が連鎖球菌の場合二割)で、乳児の場合急激な経過を辿るため一刻を争う早期診断を要求される数少ない疾患であること、そして早期に適切な治療を開始しても後遺症の出現を皆無とすることは望めないが、二か月以上の乳児(成熟児)が早期に適切な治療を受けた場合、大多数は後遺症なしに治癒されることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

被控訴人奈良市は藍の起炎菌であるグラム陽性のα型溶血性連鎖球菌の死亡率が三三ないし一〇〇パーセントである旨主張(当審主張2)するが、引用文献はいずれも対象例が二ないし四例の少数で統計的な確率の根拠としては採用できない。

(二)  前記のとおり藍は昭和五六年三月六日急性肺炎にて死亡したが、《証拠省略》によると、右死亡の直接の原因は急性肺炎(発病から死亡までの期間は短時間であった)であるが、藍はそれまで約二年間水頭症に罹患して病気に対する抵抗力が低下していたことが死亡の大きな原因になっていることが認められ、これに反する証拠はない。

(三)  そうすると、竹田、船瀬医師の各過失と右後遺症発症との間の前記時間的関係及び右認定事実(一)(二)によれば、右過失と右後遺症及びその後の死亡との間に因果関係の成立を推認することができ、右後遺症及び死亡が起炎菌の強力な毒性という不可抗力によって発生したものとみることはできない。

6  以上によれば、控訴人奈良市はその履行補助者たる竹田医師の過失により、控訴人平和会はその履行補助者たる船瀬医師の過失により前記各診療契約上の債務不履行があったと解されるから、藍及び被控訴人らが蒙った後記損害を賠償すべき責任がある。

四  損害

1  藍の逸失利益

藍は昭和五三年一〇月一二日生れで、本件事故当時〇歳の女子であったが、本件事故に遭わなければ一八歳から六七歳まで稼働可能で、その間毎年一二五万一六〇〇円(昭和五四年度の賃金センサスで産業計、企業規模計、学歴計の一八歳の女子労働者の平均年収)を得られるはずであったのにその収入を失ったこと、反面右収入の三割に当る生活費の支出を免れたことを推認することができる。

よって、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して右逸失利益の現価を算出すると、次のとおり一四八四万六二九一円となる。

125万1600円×(1-0.3)×16.9455=1484万6291円

(なおホフマン係数一六・九四五五は六七年の係数二九・〇二二四から一七年の係数一二・〇七六九を控除したものである。)

2  藍の慰藉料      八〇〇万円

藍は前記重篤な後遺症を残し二年後に死亡するに至ったこと、化膿性髄膜炎は難治性の疾患であること、その他本件諸般の事情を総合考慮すると、藍に対する慰藉料は八〇〇万円と算定するのが相当である。

3  被控訴人らの慰藉料 各一〇〇万円

被控訴人らは藍の両親であるところ、前示経過により愛児を失った精神的苦痛は推測するに難くなく、前記認定の諸般の事情に徴すると、被控訴人らに対する慰藉料は各一〇〇万円と算定するのが相当である。

4  弁護士費用     各一四〇万円

被控訴人らが本件訴訟の提起、遂行を本訴代理人弁護士に委任していることは当裁判所に明らかであるところ、本件訴訟の難易、請求額、認容額、その他本件諸般の事情を考慮すると、被控訴人らが負担した弁護士費用のうち、本件との間に相当因果関係があり、被控訴人らに請求し得る金額は各一四〇万円と認めるのが相当である。

5  請求原因5(相続)の事実は当事者間に争いがない。

五  以上の次第で、被控訴人らの本訴請求は、被控訴人ら各自が各控訴人に対し、いずれも債務不履行に基づく損害賠償として一三八二万三一四五円及び控訴人奈良市については訴状送達の翌日である昭和五五年一月二七日から、同平和会については同じく同月二九日から右各支払い済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余の請求は失当である。

よって、右判断と一部異なる原判決を本件各控訴に基づき変更することとし、訴訟費用につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項に、仮執行宣言及びその免脱宣言につき同法一九六条一項、三項に則り主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 乾達彦 裁判官 宮地英雄 馬渕勉)

〈以下省略〉

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